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歴史と沿革





昭和32年(1957年)、当時は下矢切周辺に子どもを預けられる保育園はなく、保母の経験があった野池澪子(以下、野池)は、自宅近くにある病院に勤務する看護師たちの子どもを預かってほしいと頼まれたことで、野池の自宅を『家庭保育室』にし、自身の子ども2人と預かった8人の子どもたちと過ごす生活を始める。日曜日には近所のバイブルバプテスト教会で教会学校の教師として奉仕する日々を送った。


社会福祉法人泉の園の先駆けとなる、さかえ保育園が誕生したのは昭和34年(1959年)のこと。教会の米人宣教師であるパウダース牧師に、教会堂を保育室として使わせていただくことと同時にパウダース牧師に園長になってもらうことを嘆願し、野池は保育に専念することとなった。その少し前には野池家の主治医として繋がりのある立原医師もまた、園の嘱託医として長い間子どもたちを見守ることとなる。しかし、教会堂での子どもたちとの日々は長く続かなかった。



昭和36年(1961年)、園長であるパウダース牧師に「私は社会事業ではなく、宣教に専念したいので保育園は閉園したい。」と告げられ、教会堂での保育活動はできなくなってしまった。野池らは近所の射撃場跡を借り、公園でのあおぞら保育をしながら、保育活動ができるよう土地の確保と園舎の建築に向け奮闘する。子どもたちの保護者やクリスチャンの先輩たちも協力し、祈りと共に努力を重ねた。多くの協力者が新たな園舎の創設に向けて動き始めた中、野池は自宅を売却、借金でしか賄えないような状況に陥っていた。「このことが神様の御心にかなうなら、道をお開けください。」と、野池は神様に祈り続けた。


園舎の創設に向けた野池の計画はことごとく潰され、窮地に陥っていた時のこと。資金援助や様々な救いの手が差し伸べられ、多くの方の善意による寄付が集まり、北国分の土地(旧さかえ保育園)が手に入る。さらにクリスチャンのボランティア青年たちからの労働報酬もあり、同年10月には木造2階建ての園舎が建設された。野池は、「園舎が与えられ、保育園としてこの地域の親子が安心して生活するためのお手伝いができるようになったのは、神様が道を開けてくださり私に使命を与えてくださったのだ。」と実感した。


開園から10年ほどたった昭和45年(1970年)。社会福祉法人 泉の園を設立したことで認可保育園となり、木造だった園舎も鉄筋の3階建ての園舎になった。野池は、「保護者・OBとの協力と団結は設立当初からのかけがえのない宝です。季節の行事で感じた大変な思いと楽しさを保護者と共有することで太い絆を築き、豊かな人の輪の中で子どもたちを育んでいく事が出来たのではないか。」と回想する。

保育園内外の方々のご支援とご協力に対する感謝の念は、社会福祉法人として地域福祉向上のために奉仕する活動を展開し、少しでもお返しをしていく精神を忘れずに歩んでまいりたいと思います。




社会福祉法人 泉の園


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